「戦争に負けたという事実をどう捉えますか」今、林家三平さんが国策落語に挑むわけ

    林家三平さん 七十余年の時を超え、口演

    戦後、消えた落語がある。七代目林家正蔵をはじめ当時の人気落語家が創作した戦意高揚のための「国策落語」だ。軍部と歩調を合わし、国民を戦争に協力させていくために作られた。その国策落語が70余年ぶりに復活した。手がけたのは林家三平さん。戦後まもない1949年に亡くなった七代目正蔵の孫だ。

    2016年3月1日、東京都台東区西浅草。映画「サクラ花 桜花最期の特攻」の上映会。ホールから大きな拍手が起きた。映画に出演する三平さんが出囃子にあわせて登場し、深々と頭をさげ、顔を上げる。祖父が作った国策落語「出征祝」が始まった。

    一冊の本がある。1941年に出版された落語集「名作落語三人選」だ。七代目林家正蔵など当時の人気落語家3人の名前で出版された。タイトルは普通だが、ページをめくると、「緊めろ銃後」「防空演習」「隣組の運動会」……。国民の戦意高揚のために作られた「国策落語」がずらりと並ぶ。

    その中に「出征祝」がある。登場人物は落語でおなじみ、ケチな大旦那に、小言が多い番頭さん、怒られ役の丁稚小僧に若旦那。ストーリーはこんな調子だ。

    「出征祝」そのストーリーは……

    ある日、若旦那に召集令状が届く。店中は大喜び。お祝いをしようと番頭さんは「お頭付き」の魚を用意したという。ところが並んだのはイワシの目刺し。あまりのケチっぷりに丁稚の小僧さんたちががっかりしたところに若旦那が帰ってくる。

    落語の若旦那といえば、だいたいは世間しらずなおぼっちゃんで、遊び好きと相場が決まっているが、この話ではしっかり者だ。頭を丸めて、戦争にいく準備をしてきたという。小僧たちの話を聞き、番頭をしかりつける。

    番頭も反論する。いわく、なるべく倹約して一銭の無駄もないようにしていたと。誤解されるなら、出て行ってもいい。

    若旦那は、番頭の気持ちを試しただけだと言い、店のものに「遺言」を残す。番頭のいうことは自分がいうことと同じ。「戦死は覚悟だ。戦死と知らせがきたら、この家を整理してください。財産を整理して、それぞれ受け取って独立してほしい」。

    「二本買った(日本勝った)」

    そこに大旦那が帰り、息子が出征し、国のために役立てることが嬉しいと喜ぶ。大旦那もケチでついたあだ名はケチ兵衛に、にぎりや。「ところがけちん坊が役に立って国防献金ができる」という。ケチどころか、自身の財産で国に貢献する大旦那像が描かれる。

    今夜は出征祝いだ、小僧たちも好きなものを食べようとなり、番頭さんに口々に好物をいう。話はここからオチに向かう。

    「テキがいいな」

    「ビフテキだね。けどテキはいけないね。贅沢はテキだと言うからね」

    「トンカツは」

    「トンカツはいいね。若旦那が出征してテキにカツだ」

    「お酒は飲んでもいいですか」

    「二合瓶を二本買ってある。うんと飲んでおくれ」

    「若旦那は縁起がいいや」

    「どうして」

    「若旦那の出征祝いのお酒が二合瓶二本買ってあるんでしょう。二本買った(日本勝った)」

    いびつな構成の落語

    口演を終えた三平さんは口を開くなり「どんな古典落語より難しいですね。やっぱり、戦争に行く人、死を覚悟している人の気持ちを理解するのは難しい」と淡々とした口調で振り返った。

    「落語ってケチなら笑えるくらいケチだし、登場人物が基本的に失敗するんですよね。そこに人間の業だとか、生きていく上で大事な教えが詰まっている。でも、この話は落語的な価値観で描かれる登場人物が出てくるんだけど、ケチは美徳として描かれる。いびつな構成になっています」

    「夢も語っていないでしょう。贅沢をしようというくだりも、全部その日限りで終わっています。この時代の人は、この日一日を生きるのに精一杯で、明日がわからなかった。だから贅沢も食べて飲んで終わりで、先がないんです」。

    これまで国策落語の存在は知っていたが、祖父が関わっていたことを知らなかった。「出征祝」を知ったのは昨年夏だ。昭和の爆笑王として知られた父初代三平さんの足跡を辿る番組がきっかけだった。番組資料のなかに「出征祝」があり、目を通した。

    戦局の行く末を知らず、落語家たちが作った国策落語は、敗戦とともに姿を消した。「出征祝」の原本も音源も残っていない。稽古中に言葉の調子や運び方が不自然だと感じた。「きっと祖父の落語に、軍部が相当手を入れたのではないかと思います」。

    戦後の落語界ではほとんど、その存在が触れられることはなかった。「父も戦争体験は一切、口にしませんでした。(噺家たちも)国策落語も積極的に語ろうとはしなかったし、僕たちも戦争体験を積極的に聞こうとしなかった。それも悪かったなって思っています」。

    思い出すのはこんな経験だ。2・26事件に参加し、戦争の最前線にも送り込まれた五代目柳家小さんと食事に行った。

    「お前、何が食べたい」

    「五目そばにします」

    「おーい、店員さん。こいつに五目そばと大盛りのチャーハンな」

    えっと驚く三平さんに小さんはこう言った。

    「いいから、若いうちはちゃんと食べておけ。戦争では本当に何も食べられなかったんだ」

    いま、口演に踏み切ったのには、理由がある。

    「去年は(安保法を巡る)国会前のデモなんかも大きく報じられましたね。これからの日本がどうなるのか。戦争を経験していない世代が減っていきます。そのなかで、経験談を語り継ぐだけでいいのでしょうか。体験していない人が語っても力は弱くなります。ならば、思いっきり戦争を賛美する落語という真逆のアプローチで、逆に戦争というものを考えるフィールドを作れるのではと思ったのです」

    英語、中国語で落語を披露した経験がある三平さんは、国際社会と日本という視点もまた大事だと思っている。

    「先の戦争をどう考えるのか。若旦那は18歳から20歳だと思って、演じています。今なら選挙権を持つ世代ですよね。そんな若旦那が遺言を残した時代です。国のために戦争に行くのは嫌でも、家や会社、周囲の人が『非国民』と言われるのが嫌で行ったかもしれない。戦争に負けたという事実をどう捉えますか。いまの時代は平和でものも自由に言える。これからの社会を考えたいと思う人たちの前で、国策落語はまだまだやってみたいと思っています」