「妊娠したラブドール」を題材にした写真作品を発表している芸術家・菅実花さん(28)の新作が、横浜・黄金町のアート・フェスティバル「黄金町バザール」で展示されている。なぜラブドールをモチーフに選び、なぜ「生殖」という矛盾に満ちたテーマを設定したのか。創作の原点に迫った。
菅さんが初めてラブドールを目にしたのは、東京芸術大学の学部生だった21、22歳のころ。
ラブドール・メーカーのオリエント工業が主催する「人造乙女博覧会」を見た友人から、「似ている人形がいたよ」と教えられ、興味を抱いた。
性処理用の人形に「似ている」と言われたことへの反発はありつつ、ラブドールの造形美に魅せられ、嬉しさも感じたという。
ネアンデルタール人の歯に衝撃
相前後して、東京大学でネアンデルタール人の骨をクリーニングするアルバイトを経験したことも、ひとつの契機になった。
化石についた土を、竹串などを使って丁寧に取り除く仕事だ。
「いま触っているこの骨は、人間とは別ものだと思って作業してたんです。でもある日、2歳ぐらいのネアンデルタール人の歯の化石が出てきて」
「人間の歯だ!って思った瞬間、それまでクリーニングしてきた骨は『死んだ人間』だったんだ、と認識が変わりました」
ネアンデルタール人と現生人類は交雑していたとされ、現代人もネアンデルタール人由来の遺伝子を持っている。
「遺伝子が混ざっているという話を読んで、もうわからなくなるというか。すごく遠いご先祖さまだったのかな、みたいな気がしてきて…」
むさぼり読んだ「フランケンシュタイン」
人間と非人間。生命って何なんだろう。このころ出会った1冊の本が、そんな疑問をさらに深めることになる。
メアリー・シェリー作「フランケンシュタイン」。スマホで青空文庫の翻訳をむさぼり読み、あまりの面白さに原書まで取り寄せた。
若き科学者フランケンシュタインは墓を暴き、死体をつなぎ合わせて怪物をつくりだす(※誤解されがちだが、フランケンシュタインは怪物ではなく、怪物をつくった科学者の名前)。
作品には、メアリー自身の死生観が反映されているとも言われる。
メアリーの母親は、彼女を産んですぐに産褥熱で亡くなってしまう。16歳で詩人と駆け落ちしたメアリーも、伝染病や早産、流産などで子ども5人のうち4人を失う。夫も若くして溺死している。
「生と死がものすごいスピードで起こっている。自分が生まれた時に母親が亡くなっているということは、恐らく彼女自身が出産した時にも『死ぬかもしれない』という思いを抱いたのではないでしょうか」
人造人間も妊娠するの?
作中の怪物は孤独にさいなまれ、自分と同じ人造人間の伴侶をつくるようフランケンシュタインに迫る。
渋々引き受けたフランケンシュタインだが、怪物の一族が繁殖することを恐れ約束を反故にする。
「フランケンシュタインは同情して女の怪物をつくり始めるんですけど、途中で壊してしまう。子どもが生まれるかもしれないから、と。その時、あれ?と思ったんですね。人造人間にも妊娠する可能性があるのかって」
人造乙女博覧会、ネアンデルタール人、フランケンシュタインの怪物。
同時期に触れた3つの出来事が、後にラブドールのアートというひとつの結節点に収斂していくことになる。
「それぞれがバラバラの趣味で、当時は結びつけて考えることもなかった。でも、いまになって作品を中心に考えると、全部そこから派生した興味だったんだろうなって気がします」
「子ども産みてー!」叫んだ女子高生
東京芸大の大学院に進んだ菅さんは、昨年1月の芸大の卒業・修了作品展で「ラブドールは胎児の夢を見るか?」という作品を発表した。
人工知能を搭載したラブドールが妊娠したら、きっとマタニティ・ヌードを撮りたいと言い出すのではないか――。
オリエント工業製のラブドールの腹部にボールを入れ、空気で膨らませて撮影。縦223センチ、横125センチの巨大なポートレート3枚を組み合わせて作品化した。
あたかも「3人」いるように錯覚するが、実際には1体のラブドールの髪型やポーズを変えて撮ったものだ。
来場者の反応は予想を超えていた。
「子ども産みてー!」と叫ぶ女子高生。「ママ、ママ」と作品を指さす幼児。「エロくていいね」と話す男性もいれば、「女性の尊厳を表している」と解釈した年配女性もいた。
アンドロイド技術への期待と不安
展示はSNS上でも話題となり、菅さんを取り上げたインタビュー記事は360万を超えるアクセスを集めた。
ラブドールのマタニティ・ヌードという設定は斬新だが、無闇に奇をてらったわけでは決してない。
友人たちが結婚や出産を具体的に考え始め、菅さん自身も同時期に結婚。「子どもを持つ」ということに関して、それまで以上にリアリティーを持って受け止めるようになっていた。
米国ではAIを搭載したラブドールの開発が進められ、日本の大学でも人工子宮で動物の胎児を育てる実験が行われている。
こうした現実の動きにも触発され、「人間の女性が生殖から切り離れた未来」というコンセプトを着想したという。
「先日、ロボットのふりをした女性の動画がネットで話題になりましたよね。背景には、『こういうロボットが出てくるんじゃないか』という期待と、不気味さがあると思うんです」
「三美神」をテーマに
菅さんは、横浜・黄金町で11月5日まで開催中の黄金町バザールに、新作「The Three Graces」を出展している(※中学生以下は入場制限あり)。
作品名は日本語で「三美神」。ギリシャ・ローマ神話に登場する3人の女神を意味する。
西洋絵画のモチーフのひとつで、ラファエロやボッティチェリ、クラーナハなどの作品が有名だ。
1枚あたり縦174センチ、横104センチと「ラブドールは胎児の夢を見るか?」に比べると一回り小さいが、神々しさは増したように見える。
「等身大に近くなるので、生々しくなり過ぎることは避けたかった。そこで、『女神』という表現をとりました。普段見ないようなクラシカルな髪型にしたくて、ルネサンス絵画を参考にヘア・アレンジしています」
インドネシアでは昨年、島に漂着したラブドールを「天使」と勘違いした村人たちが、大喜びするという騒動が起きた。
菅さんは「祈りたくなる気持ちは理解できるし、村人のことを笑えない」と話す。
「違法風俗の街」摘発で一変
制作にあたって意識したのが「黄金町」という文脈だ。かつては違法風俗店が乱立していたが、2000年代以降、住民運動や警察による一斉摘発を経て激減した。
黄金町バザールはアートによる街の再生を目指し、「ちょんの間」として使われていた高架下をアトリエや展示スペースに改修するなど、意欲的な試みに取り組んでいる。
「そういう歴史的な経緯を踏まえると、生々しい女性の身体を見せるよりも、もっとシンボリックなもの、概念的なものを中心に考えた方がいいだろうと」
「三美神には『愛欲』『貞淑』『美』という寓意があります。単純に当てはめると、『愛欲』はかつての風俗街、『貞淑』は地域住民と捉えられる。そこに『美』=芸術が加わることで何ができるか。アートの可能性を考えたい」
体を張ってラブドール守る
創作過程は文字通りの七転八倒だった。
写真1枚の撮影に約6時間を要する。ラブドール単独では自立できないため、見えない角度から支えるのだが、2〜3時間もするとバランスを崩してしまう。
「膝がカクッてなってコケるんですよ。あとちょっとで完成という時に体勢を崩してしまうこともあって。空気読んでよ、みたいな(笑)。ケガの功名で逆によくなることもあるんですけどね」
60万円を超える高価な品だけに、ラブドールへのダメージはできるだけ避けたい。身を挺して守ることもある。
「床に直撃しないように、自分が間に入って下敷きになって助けるんです。人形がダメになったら、もう作品がつくれないですから」
ラブドールの重さは約25キロ。身長は148センチの菅さんとほとんど変わらない。
撮影や持ち運びはかなりの重労働で、腰痛になったこともある。体力づくりのため、筋トレをするようになった。
「腹筋、背筋、腕立てふせ…あとスクワットも大事ですね。持ち上げる時には、ももにくるので」
単なる「モノ」を超えた愛着も感じている。
「友達、分身みたいな感覚。洋服をシェアしたりすることもありますよ」
「着せ替え人形」として楽しむ人も
篠山紀信さんがラブドールの写真集を発表するなど、ここ最近、アートとしてラブドールを捉える動きが広がっている。ラブドールの何が人々を惹きつけるのだろうか。
「ひとつは高いクオリティーですね。10年前だとまだ少し人形っぽさがありましたが、いまは写真だと人間と見分けがつかないぐらい、非常にリアルなものが出てきている」
「もうひとつは、それが性処理用の人形であるということのギャップ。アダルトグッズなのに、エロを超えた美しさがある。そういう状況が、写真に撮ってみようか、という気を起こさせるのではないでしょうか」
買ったものの行為に及ばず、観賞用として愛でる男性も少なくないとされる。
「あまりに綺麗だからと大事にしすぎて、『着せ替え人形』のようになっている人もいます。海外では女性の購入者も珍しくなくて、SNSに写真をアップして楽しんでいますよ」
100年前と100年後に届けたい
ラブドール作品は「女神であり、怪物でもある」と菅さんは語る。
女神のように崇高で荘厳な美しさと、フランケンシュタインの怪物的な不気味さ。
ラブドール自体に内在するそうした両義性に加え、菅さん自身にとっても二重の意味があるのだという。
「ダメな作家だと思うのですが、自分を救ってくれる作品を求めていて。私自身この作品で成長もできたし、救われた。ありがたいことに、注目もしていただけました。そこは『女神』の部分です」
「一方でイメージがつきすぎて毎回同じオファーが来たり、テーマと結びつけて私自身のプライベートのことを聞かれたり、ということもあって。その点は『怪物』というか、苦しめられている部分ですね」
最後に今後の抱負を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「100年前のアーティストや100年後のアーティストと、作品を通じて対話したい。国や言葉、時代を超えて鑑賞に耐えうるものをつくっていけたら」
(かん・みか) 1988年、横浜生まれ。2009年、東京芸術大学美術学部の日本画専攻に進学。2013年に卒業し、大学院では先端芸術表現を専攻。昨年、修士課程を終了し、現在は博士課程2年目。黄金町の会期は11月5日まで。来年には書籍(共著)の出版や、東京・文京区立森鴎外記念館でのシンポジウム(1月20日)と関連展示(1月13〜28日)も予定されている。