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条件をつけられる命なんてない 相模原事件に通じる杉田議員の発言

筋ジストロフィーで生活の全てに介助が必要な詩人、岩崎航さんが、杉田水脈議員の寄稿を読んで真っ向から対抗します。

自民党の杉田水脈衆議院議員が月刊誌への寄稿で「(LGBTは)子供を作らない、つまり『生産性』がない」とし、支援のための税金投入に反対する主張を投げかけた問題で、この暴言を批判する声が障害を持つ人の間にも広がっている。

BuzzFeed Japan Medicalは、筋ジストロフィーで人工呼吸器を使い、生活の全てに介助を必要とする詩人、岩崎航さん(42)にこの寄稿を読んでもらった。岩崎さんはこの寄稿に対し、言葉の力で真っ向から対抗した。

相模原事件の植松被告と同質の発想

断片的には聞いていましたが、寄稿を全文読んで、やはりこれは酷すぎる、許せないと感じました。

特に「生産性がない」から、支援の必要もないと言っている部分は、LGBTの方たちに限らず、重度の障害者にも及ぶ攻撃です。

重度の心身障害者に対して、働いていない、または税金を納めないで、税金だけ食いつぶしていると考え、だからその人たちを支援する社会保障の予算は無駄なのだと言う人は一定程度います。

杉田議員の主張はそれとほとんど同じで、障害者差別にもつながる考え方だと受け止めました。

そして、それは2年前に起きた相模原事件の植松聖被告と同質の発想です。

植松被告は重度の心身重複障害者に対し、まさに「生産性がない」という考えに基づき、社会の迷惑であり、社会に不幸をもたらすだけだとして、障害者の生存を真っ向から否定しました。

社会的な影響力があるだけ悪質

植松被告の場合は、実際に多くの命を奪ったわけで許されることではありません。その上で、杉田議員の言葉がもっと酷いと思うのは、社会の中で影響力のある政治家が発言することで、こうした暴力の芽を社会に広げていることです。

施設の介護職員として働いていた青年・植松被告は当初からあのような極端な考えを持っていたわけではないでしょう。障害者は生産性がない、その命に価値がないと考える社会の空気を吸って影響されたこともあったと思います。

そして、杉田議員の今回の言葉は、一部の市民から支持をされています。

植松被告は犯行に及ぶ前に、衆院議長公邸に自分の偏った発想に基づく殺害計画を書いた手紙を届けていました。これはおそらくこの国を司る為政者に一定の賛同が得られるものだと考えてのことだと思います。

杉田議員も植松被告と同じく、社会に対してあえてこうした発信を繰り返しているのは、社会の中である程度の賛同が得られるであろうことを見越しているからだと思います。そんな計算があるようにしか見えません。

こうした発言を容認する空気を徹底的に拒絶する必要

実際、自民党の幹事長である二階俊博幹事長は「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観、考えがある」と述べて、問題視しない考えを示したと報じられています。

明らかな人権侵害に対して、「色々な考え方がある」とくくってしまうことは間違っています。

自分の発言なり行動なりがどれほどの重みを持っているかを自覚して、身を律することは、政治家の持つべき前提です。

私は杉田議員のような発言やこういう発言を容認する空気は徹底的に拒絶し、対処することが必要だと思います。

政治家であるならば、植松被告の考え方に対して、「こういうのも一つの考え方だ」とは言わないはずです。同質の発言なのに、杉田議員の発言を容認し、放置するのは、問題を軽く認識しているとしか思えません。

人の存在は条件付きで認められるものではない

彼らの「生産性がない」という理屈をもとにして言えば、私もそこに入る人間です。子供が生まれる、生まれないで社会に貢献しているかどうかを決めるという発想自体が馬鹿げています。

生産性のあるなしという基準で人を見ることが、人間を馬鹿にしているということです。

障害者もよくそういう目に晒されることがありますが、条件付きでこの人はいていいとかいてはいけないとか、外部から規定することはおかしなことです。

人は無条件で生きる。こんなことは言葉にするまでもないのですが、最近ではわからない人もいるということに恐ろしさを感じます。

人は、「〜ができるから」「〜ができないから」という理由で、生きていいかを決められませんし、決められるはずもありません。

「たくさん働いて、たくさん税金を納めている人が偉い」という価値観に染まり、いつの間にかそうでない人は価値がないという見方が広がっています。

杉田議員や植松被告は、自分が設けた基準で排除される側には決してならないという自信があるのでしょう。

しかし、人はいつどうなるかわかりません。何かの不幸があって途中で重度障害を負うこともあるでしょうし、年をとったら全ての人が支援を受ける立場になる。

支援される立場になる、ということを自分ごととして考えていないから、支援に対して身勝手な基準を設けることができるのでしょう。そんな誤った考えは断固拒絶しなければなりません。

人はただそこにいるだけで価値がある存在

少し話をずらしますが、私は自身のエッセイ集『日付の大きいカレンダー』(ナナロク社)で、人が「はたらく」ということについて書いたことがあります。

その中でこういう五行歌を掲載しました。

人が「働く」と

いうことは

労働市場の

価値 だけでは

決まらない

私には同じ病を持っている7つ上の兄がいるのですが、今は病院で暮らす兄と家で一緒に過ごしていた時、家の中で引きこもるような時間を過ごしていました。

家の中で兄の居る場所はだいたい決まっていて、テーブルの縁に肘をかけて座っているのが常だったのですが、それは将来の展望が見えず虚しい時間を過ごして居る私にとって、とてもほっとする光景だったのです。

その時、兄は気の利いた言葉をかけてくれたわけでも、何かをしてもらったわけでもありません。いつでもそこにいてくれる、一緒に生きていてくれるだけでも、私は大きな恵みを受け取りました。それも人の「はたらき」だと思うのです。

貧しい思想を許してはいけない

そうした私の経験から得たものから考えると、人を「生産性」という眼差しで見るのは貧しい思想です。

貧しい目で見れば、子供を作らない、稼ぐことができないような人は、何もできないししていない、価値のない人間に映るのでしょう。しかしそれは人間を考えるに当たって、非常に浅薄な考え方です。

杉田議員や植松被告の目には見えない豊かな世界が人間関係には広がっています。その豊かな可能性を狭めることを許してはいけません。

ただ、そこに居るだけでいい、生きているだけで十分というのが人の命であるはずです。外部から条件なんてつけてはいけないし、つけられるはずがない。そんな貧しい思想を流してはいけないし、許してはいけない。徹底的に戦わなければなりません。

こんなことを説明しなければならない現実に、恐ろしさを感じます。私も怯まずに対抗する声をあげたいと思います。

【岩崎航(いわさき・わたる)】詩人、エッセイスト

1976年、仙台市生まれ。筋ジストロフィーのため胃瘻と人工呼吸器を使用し24時間介助を得ながら暮らす。2013年に詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)、15年にエッセイ集『日付の大きいカレンダー』(ナナロク社)を刊行。自立生活実現への歩みをコラム連載(16年7月~17年3月/ヨミドクター「岩崎航の航海日誌」、17年5月~/note「続・岩崎航の航海日誌」)。16年、創作の日々がNHK「ETV特集」でドキュメンタリーとして全国放送された。公式ブログ「航のSKY NOTE」、Twitter @iwasakiwataru