「WhatsApp」のデマが起こしたリンチ殺人 インドの寒村が崩壊へ

    2018年7月、インドの僻地(へきち)にある村の住民たちは、チャットアプリ「WhatsApp」で児童誘拐犯のうわさを目にした。その後、5人のよそ者が村人たちに撲殺された。

    暴徒化した村人たちは、人気チャットアプリ「WhatsApp」のうわさに影響され、5人のよそ者を撲殺してしまった。事件から何時間たっても、現場に残された血を拭き取ろうという者は現れない。あまりにも血の量が多かったのだ。

    ラインパーダ村の集会所の床に残されていたものは、長さ2m弱ある血だまりが固まったもの。壁とそこに飾られていたマハトマ・ガンジーやインドの政治家たちのホコリにまみれた肖像画には血しぶきが飛んでいて、天井にまで血が付いていた。その晩、村議会は5000ルピー(約7800円)の報酬で近所の村から5人雇い、着古されたサリーで血の塊を拭き取らせて、サリーの焼却と土に埋める作業を任せた。

    事件から5日後、現地の警察は容疑者のほぼ全員を一斉に逮捕した。容疑者たちは5人を襲撃したことを認め、襲撃の理由を、よそ者の児童誘拐に用心するよう訴える恐ろしいビデオをWhatsAppで見たから、と証言している。なお、被害に遭った5人はいずれも非定住民族の人々で、ムンバイから約320kmほど北東に位置するラインパーダ村を通り過ぎようとしていただけだ。


      この記事のポイント

    • インドの農村で、FacebookのチャットアプリWhatsAppで回ってきた「児童誘拐に注意せよ」という刺激的なフェイク動画を信じた見た村人らが、通りがかった村外の5人をリンチして殺害した。
    • 村周辺の識字率(リテラシー)は60%程度。基礎的な教育が普及していない。だが、安価なスマホやデータプランの登場で、インターネットとSNSが、生活インフラや教育よりも先に普及した。
    • 同様の事件はインド各地で相次いでいる。
    • インド政府はWhatsAppにデマの発信源を調査できるよう求めているが、WhatsApp側はプライバシー保護を理由に拒否している。アプリで流れるデマや偽情報で事件が起きる時代、プラットフォーム側が追うべき責任は。

    容疑者たちは、裁判が開始されるのを待っている。起訴された28人に対し、州政府は4人の弁護士を選任した。その内のアクシャイ・サーガル氏とマノージ・ハイルナール氏はBuzzFeed Newsに、「被告人たちの主張は、WhatsAppでよそ者による児童誘拐の情報に数カ月も接していたため、被害者5人が誘拐犯だと完全に信じていた、というものだ。そして、子どもたちを守るためなら何だってする、と述べた」と話してくれた。

    WhatsAppは、Facebookの傘下企業が提供しているメッセージング・サービス。2億人以上ユーザーのいるインドが世界最大の市場であり、インドの文化や社会構造と切り離せない存在になっていて、若者だけでなく、年配も含め利用者層は幅広い。Facebookは2014年に190億ドル(約2兆1600億円)で買収したのだが、FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグ氏はWhatsAppを重要事業の1つと見ている。メッセージングアプリとして誕生したWhatsAppは次第に機能を増やし、決済機能まで搭載するに至った。すでにインドでは、この決済機能が試験提供されている。

    ところが最近、WhatsAppはインドで殺人事件に関係するようになってきた。たとえば6月には、インド東部カルビ・アングロン県のある村を通過しようとしていた29歳男性とその友人が、暴徒化した数百人によるリンチに遭った。WhatsAppでシェアされた児童誘拐のうわさに扇動されたのだ。その事件から2週間後の7月、インド南部のマーキー村を訪れていたあるIT技術者が、数百人からの投石で命を落とした。5月以降、インドではリンチが少なくとも16件発生し、29人が死亡している。当局によると、暴徒化の原因はWhatsAppで流された偽情報だという。

    Facebookは、2016年の米大統領選挙戦で偽情報の流布に利用され、その件で揺らいでいる世間からの信頼を回復させようと奮闘中だ。そのさなか、ラインパーダ村などで自社製品が血なまぐさい騒ぎを扇動してしまい、別の難問に対応することとなった。Facebookは「コミュニティ形成に必要な力を人々へ与え、世界をより密に結びつける」という目標の実現を目指しているのだが、ザッカーバーグ氏とシリコンバレーを拠点に活動する経営陣は、自分たちの手がける事業の悪しき副作用を見誤った。今や、偽情報、プロパガンダ、デマ、ヘイトに飲み込まれているのだ。

    どんな犠牲を払っても成長を追求するFacebookの方針は、発展途上国において重大な人的結果を招いている。ミャンマーでは、Facebookのチャットツール「Messenger」でヘイトスピーチが広まり、ロヒンギャのイスラム教徒をまとめて虐殺しろ、という呼びかけが拡大した。フィリピンでは、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領が非道な麻薬戦争で利用されるFacebookに対する怒りと恐れを募らせた。ブラジルでは、反ワクチングループが黄熱病ワクチンに関する偽情報をWhatsAppで広めた結果、黄熱病の患者が明らかに増加した。そしてインドでは村人たちが、転送されてきた児童誘拐犯に用心するよう呼びかける発信源不明のビデオを見て、興奮に駆り立てられている。こうした村人の多くにとって、インターネットに接するのはこれが初めての経験だ。

    問題のビデオは、ラインパーダ村の事件が起きる何カ月も前からインドのさまざまなWhatsAppグループで広まっていた。ビデオの発信源は、WhatsAppの強力な暗号機能に阻まれて追跡できない。BuzzFeed Newsの確認したあるビデオは、イスラム教徒との宗教的な緊張を醸し出すブルカ姿の女性が映り、子どもの腕をしっかり握って歩き去るぼやけた映像だった。別のビデオは、内臓を取り出された子どもの写真に、臓器売買を警告する音声が重ねられていた。このビデオは34秒あり、「あなたの入っているすべてのWhatsAppグループでこのビデオをシェアして下さい。シェアしないなら、人でなしです」という命令調のコメントで締めくくられている。

    インドの情報技術省はラインパーダ村の撲殺事件から2日後の7月3日、WhatsAppで広まる「根拠のないデマと挑発的な内容で一杯の、無責任な刺激の強いメッセージ」を大変に憂慮している、との声明を発表した。声明の最後では、WhatsAppの運営会社と経営陣を非難し、「説明責任と義務から逃れてはならない」と釘を刺している。

    その翌日、WhatsApp側は声明に「こうした暴力行為に慄然とした」と反応した一方、偽情報への有効な対策を実施するには政府の助けが欠かせない、と主張した。対策として若干の変更をWhatsAppアプリに施し、再送信されたメッセージには「転送済み」を示すラベルが付加されるようになり、インドではメッセージを転送できるユーザーやグループの数が1ユーザーあたり最大5つに制限されるようになった。さらに、30紙以上の新聞に7つの言語で全面広告を出し、偽情報を見破るヒントを紹介した。最近では、偽情報の転送に用心するよう呼びかけるキャンペーンをラジオで始めた。

    ところがインド政府は、もっと多くの対策を求めている。政府がWhatsAppに要求していたのは、メッセージの発信源を調べるのに使えるツールの開発だ。政府は表向き、警察が偽ビデオの作者を捕まえるのに利用するツールとしている。

    WhatsApp広報担当のカール・ウーグ氏は、次のコメントをBuzzFeed Newsに寄せた。「WhatsAppでメッセージの『追跡』を可能にしてしまうと、通信経路を完全に暗号化している仕組みと、プライベートな通信というWhatsAppの本質を損ない、重大な悪用へとつながる可能性があるはずです。前進するにあたり、偽情報対策では社会のさまざまな方々と協調して取り組んでいきますが、現在提供しているプライバシー保護機構を緩めるつもりはありません」(同氏のコメント)

    ほかのインターネット・コミュニケーション・ツールと同じく、WhatsAppの場合も、ユーザーのばら撒く情報の内容にまで責任を負うべきでない、という主張が繰り返されてきた。ジャン・コウム氏とブライアン・アクトン氏が2009年に作り、Facebookが2014年に買収したWhatsAppは、安全かつ素早く情報共有できるツールの実現にずっと注力してきた。その間、ユーザーによるシェアをコントロールした方がよい、という意見には耳を貸さなかった。

    しかし、このようなプライバシー保護に対する厳格な態度の一方で、容易に共有できてしまう機能は、大規模な環境における二次的どころか三次的な影響の責任を問われなかった。10億人を超えるほどの人々がサービスを使ったら、一体どのような事態になるだろう。そうした人々のなかに、使っている技術に対する理解が不十分で、広大なインターネットに存在する不誠実さを理解していない人がいたら、どうなるだろう。さらに、暴力を扇動するコンテンツが何百人ものユーザーへシェアできて、シェアした相手がさらに何百人ものユーザーにシェアできるとしたら、どうなるだろう。

    暴徒によるリンチは、インドでは今に始まったことでない。WhatsAppが広まるよりずっと前からリンチは行われており、インド内で2000年から2012年のあいだに起きたリンチは2000件以上との報告が複数ある。ただし、WhatsAppが問題を激化させていることに対する疑いはほとんどない。なお、WhatsAppの関係者は、暴徒事件が起きた村をいまだに訪問していない。

    インド生まれの技術系起業家であるラシュミ・シンハ氏は、リンチ事件の増加と、インドにおけるWhatsApp利用者の拡大と、WhatsAppによる情報とうわさの伝搬速度とのあいだには、確実に相関がある、とみている。

    「そこで起きたことが自分のせいでないとしても、私なら責任あるリーダーとして、自分の作ったソフトウェアが何らかの有害な使い方をされたら対策を取るだろう。事件が起きた時点で、リンチの責任は暴徒にあり、WhatsAppではない。しかし、WhatsAppを使ってもらいたくて、しかも長く使ってもらいたいのなら、幻滅や問題を排除する必要がある」(シンハ氏)

    ウーグ氏はBuzzFeed Newsに対して、WhatsAppが「全世界にいるユーザーの安全を深く考慮している。今年に入ってからインドで起きた集団暴力や殺人に慄然としており、政府、社会、技術企業が行動を起こして対策しなければいけない問題だと強く感じる」と述べた。具体的な対策として、誤用に歯止めをかける目的でアプリへ施した変更を挙げた。さらに、転送するメッセージに含まれる偽情報の危険性をユーザーへ啓蒙するため、ラジオCMの展開や、事件の起きた地域でリーダーたちを対象に実施する「デジタル・リテラシー教育」といった活動にも触れた。

    WhatsAppとインド政府が何らかの解決策を見いだしたとしても、死亡した人たちと牢屋に入れられた人たちとしては手遅れだ。ラインパーダ村は空っぽになってしまった。大人たちのほとんどは、警察に調べられると自分や親族が巻き込まれるかもしれないと恐れ、村を出てしまった。7月の蒸し暑い日曜日に起きた事件の後も残ったのは、少数の村人と、集会所の床に残された消えかかっている薄赤い染みだけだ。

    WhatsAppはどうやってラインパーダ村までたどり着いたか

    頼れるガイドがいないと、ラインパーダ村を見つけるのは至難の業だ。標識など設けられていない。たどり着くには、まず26kmほど東にある人口2万3000人の町、ピンポルナーを通り抜け、道なりに西へ進む。数分も行くと、ピンポルナーのビルはかすんで見えなくなり、道路は細く未舗装の道に変わり、明るい緑色をした穀物畑が両側に広がる。視線を遮るものは、草で葺いた屋根の泥造りの家だけだ。.

    ドゥーレ県の西端に位置するこの小さな集落は、インド政府が同国内でもっとも開発が進んでいない地域と見なしている。千人ほどいる住民の暮らしはずっと昔からつつましく、近隣の町にいる卸売業者へトウモロコシを売ることで何とか生計を立てていた。

    ところが最近になり、若者たちは日雇い労働の仕事を求めて160km離れたところにある、もっとも近い都市のスーラトへ出て行くようになった。ラインパーダ村があるドゥーレ県の平均所得は、同地方の公式サイトに掲載されている経済調査レポートによると月100ドル(約1万1000円)に満たない。インドにおける1人あたりの平均所得133ドル(約1万5000円)を、大幅に下回る金額だ。電気を使える経済的余裕のある村人はまれで、ほとんどの家庭は勝手に頭上の電線から電気を引いている。ラインパーダ村の周辺で読み書きできる人は全体の63%にとどまり、識字率はインド最低レベルだ。

    そんな環境でも、ラインパーダ村では多くの若者がAndroidスマートフォンを欲しがっている。WhatsAppを使うためだ。ラインパーダ村にほど近い集落の出身で、社会学を学んでいる21歳のスニル・ポパット・バーイラム氏は、「村で読み書きできる人は、ごく限られている。『www』や『インターネット』、『データ』が何なのか考えもしない。ただ、WhatsAppを使えばビデオを見てシェアできる、ということだけ知っている」と話す。WhatsAppはインドでもっとも利用されているアプリで、「Gmail」や「YouTube」よりも普及している。インド地方部におけるWhatsAppアクティブ・ユーザーのシェアは、2017年に比べ倍増したとのデータがある

    インドではデータ通信料金を驚くほど下げる価格競争が通信サービス会社間で繰り広げられ、その結果、ラインパーダ村にもインターネットがやって来た。ラインパーダ村やドゥーレ県にあるいくつもの村では、毎夜その周辺の丘が何百ものAndroidスマートフォンから放たれる明かりで浮かび上がる。村のなかよりも丘の上の方が電波がずっと強いため、若者らが集まるのだ。数百km離れたインドの都会では、若者がトレンディなラウンジや音楽の鳴り響くクラブからInstagramへストーリーを投稿する。一方、村の若者は丘の頂上を「デジタルデータの水飲み場」として利用し、安物のAndroidスマートフォンと、安価な数10GB通信可能なプリペイド・データプランを使っている。こうして若者たちは、WhatsAppで映画、音楽、ポルノ、うわさをやり取りする。さらに、教育や仕事など村では手に入らないものを求めて大きな町へ移った友達や家族と、WhatsAppでチャットする。

    ムルゲという人口1500人の小さな村の出身で、現在大学2年生のサンディープ・ワドゥ氏によると「学業や仕事のために村を出た人のほとんどは、いくつか村関係のWhatsAppグループに入る」そうで、同氏自身が参加しているムルゲ村関係のグループは2つある。そのうち1つは、村の若者たちによるグループで、村に残っている若者と村を出た若者の両方が入っている。もう1つは村の公式グループで、村議会の議長、警察の窓口、名家の家族もメンバーだ。

    「村を出た私のような者からの情報がこうしたグループで転送され、メッセージが村に残っている人へと伝わる」(ワドゥ氏)。村の強い影響力を持つ人に情報が届くと、そこから口コミで広がっていく。「私はほかの村人より高い教育を受けているので、流れてくるうわさなど信じなかった。これに対し、何かを読んだりテレビを見たりする人は村にいない。WhatsAppで新しい情報を入手するだけで、何を信じるべきか分かっていない」(同氏)

    偽情報を研究しているレニー・ディレスタ氏は、閉じた社会集団は構成メンバーを信じるようになると指摘し、こうした環境が問題の1つだとした。人間は友人や家族から見聞きした事柄を信じる傾向があり、「外部から情報が入らないグループはエコーチェンバーになりかねない」(同氏)そうだ。エコーチェンバーの内部にいる人は、グループの混乱を恐れるため、間違いを確信していても指摘しないことがあるという。

    若者たちがスマートフォンを持って出かける夜の散歩でよく行うのは、「ShareIt」や「Xender」といったファイル共有ツールを介してのアプリ交換だ。この方法だとGoogle Playストアを使わずに交換できるので、Googleアカウントが必要ない。Google Playにアクセスしないので、こうした人のほとんどが古いバージョンのWhatsAppを使うことになる。つまり、転送済みラベルなど、偽情報対策としてWhatsAppに搭載された最新機能の恩恵が受けられないのだ。BuzzFeed Newsが同地方出身の若者に協力してもらい、10人ほどのスマートフォンを調べたところ、最新バージョンのWhatsAppを使っていたのは1台だけだった。

    ラインパーダ村から72km強離れたところにあるアリハバード村の出身で、22歳のスニル・ジャグタップ氏は5月のある日、児童誘拐犯に用心するよう警告しているビデオを目にした。近くの町で皿洗いをしている友人から送られてきたそのビデオの発信元は不明だが、子ども数十人の遺体の写真が表示され、臓器売買目的で子どもを誘拐するよそ者に用心するよう呼びかける、男性のヒンディー語による音声が重ねられていた。ジャグタップ氏はこのビデオをグループに転送しなかったが、ほかのユーザーがシェアしているのは見かけた。「このビデオは、確実に出回っていた」(同氏)

    ところが、むごたらしいその写真はアリハバード村で撮られたものでなかった。インドで撮影されたものですらない。BuzzFeed Newsの調査により、撮影場所はシリアで、化学兵器による攻撃後の惨状であると判明した。WhatsAppで流れていた別のビデオに使われていた子どもの遺体が写った画像は、極端な陰謀論がテーマのブログにおいて、2017年7月にインド各地の村を襲ったとされる肉食怪獣の警告に使われていたものだった。

    再生注意

    video-player.buzzfeed.com

    再生注意: インドのラインパーダ村に住むWhatsAppユーザーが広めたこのビデオは、ヒンディー語の音声で児童誘拐のうわさを伝える内容だが、表示される写真はシリアで撮影されたものだ。ビデオ下部の英語字幕は、BuzzFeed Newsがつけた。

    ラインパーダ村やその近隣の村に住む人々は、ビデオの出所を知らなかったし、内容の信憑性にほとんど疑問を抱かなかった。何といっても、信用しているWhatsAppグループの友人や家族から送られてきたのだ。リンチ事件さえ起きなければ何の変哲もない普段と同じ日曜の朝になったであろうその日、5人のよそ者がラインパーダ村へやって来た。そのころには、スマートフォンを持つ人も持たない人も、村人のほとんどが児童誘拐のうわさを見聞きしていた。

    日曜の朝に起きた虐殺

    ラインパーダ村で村議を務めているサハラム・パワール氏は、事件の数カ月前から児童誘拐犯のうわさを知っていた。ただし、土で汚れたシャツのポケットから使い古されたノキア製の携帯を取り出しながら、BuzzFeed Newsに「スマートフォンは持っていないし、6年使っているこの携帯電話しかない」(同氏)と述べ、近所の人やその子どもたちから聞いたと話した。「WhatsAppには縁がない。学校には4年生までしか通っておらず、読み書きできない」(同氏)

    ラインパーダ村から10km弱のところにあるムランギ村では、児童誘拐を警告するうわさがささやかれ、村人たちを何週間もおびえさせていた。ムランギ村に住むスレシュ・ガーイクワード氏はBuzzFeed Newsに、「うわさを聞いて以降、家に子どもだけを残して出かけたくないので、みな畑に出なくなった」と語った。ムランギ村やその近隣の村では、子どもを学校へ行かせなくなったり、3世代同居している親戚の家に預けたりして、常に目の届くところに置くようにしていた。

    5人の男が7月1日の朝、恐怖と不安にさいなまれた村人の暮らすラインパーダ村に到着した。彼らはラインパーダ村のあるマハラシュトラ州北東地方から来た非定住民族の人たちで、毎週開かれるバザーに店を出そうと訪れたのだ。5人のうち4人は家族だった。

    パワール氏は当日の午前9時30分ごろ、自宅の玄関先で座っているときに大騒ぎを耳にした。最初は酔っぱらいの喧嘩だろうと考えて無視していたのだが、叫び声は次第に大きくなったという。

    そこで、ゴムのサンダルを突っ掛けてようすを見に出た。騒ぎの現場に着いた時点で5人のよそ者はすでに血まみれになっていて、パワール氏の見たものは、腰に巻いていたドーティーがずれ、着ていたクルタが細かく裂かれた男たちを、約40人の暴徒がサンダルや石、こぶしで殴りつけている惨状である。さらに、100人ほどの見物人がそれをはやし立てていた。暴行のようすは数十人がスマートフォンで撮影してビデオをWhatsAppのグループへ投稿したのだが、後日ドゥーレ県の警察は容疑者の特定と逮捕にこのビデオを利用した。

    再生注意

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    再生注意:ラインパーダ村で起きたリンチ事件を撮影したビデオ。暴力的なため、視聴すると気分を悪くする恐れがある。

    当時ドゥーレ県の警察で最高責任者を務めていたM.ラームクマール氏によると、騒ぎはラインパーダ村から400mほど離れた小さなゴティラーンバー村で始まったそうだ。5人の男たちはそこでバスを降り、ラインパーダ村のバザー会場まで歩いていこうとしていた。その際、1人が出会った9歳の女の子にクッキーを渡したという。ラームクマール氏と、起訴された28人の一部を担当する弁護士の話では、悪気ないその行動に刺激されたマハル・パワール氏が警戒態勢に入ったらしい(このパワール氏は22歳の学生で、村議サハラム・パワール氏の親族でない)。パワール氏は男たちを呼び止め、問いただし始めたところ、すぐにほかの者たちも加わってきた。パワール氏らの弁護をするサーガル氏とカーイルナール氏はBuzzFeed Newsに対して、「(パワール氏は)若い男性で、あの地域の典型的なスマートフォンとWhatsAppのユーザーだ」と話した。

    村人たちの尋問が暴力にまでエスカーレートした経緯は不明だ。しかし、リンチが始まると、16km離れた警察の出張所から警官が到着するまで待てと制止する一部の声は無視され、暴徒らは1時間にわたって男たちを殴り続けた。村議のパワール氏を含む数人が仲裁に入って暴行を避けながら、男たちを何とかラインパーダ村の集会所にかくまい、鍵を掛けて木の窓をふさいだ。

    それでも暴徒は止まらない。興奮した集団は正面のドアを破り、窓をたたき壊し、室内へなだれ込んできたのだ。暴徒のなかには、耳にしていた児童誘拐のうわさについて叫んでいるものもいた。州政府に当時の職から事件後の8月に移動させられたラームクマール氏は、「ついに男たちは捕まり、リンチが続いた。そのときリンチしていた集団は、集会所の中庭で男たちを生きたまま火あぶりにしようとした」と話した。

    BuzzFeed Newsが確認した事件のビデオには、被害者の1人がとっくに死んでいるにもかかわらず、若者に大きな石で頭を殴り続けられる姿が映っていた。さらに、集会所のなかで被害者の脈を落ち着き払って確認していた暴徒の1人は、現地のマラーティー語で「まだ生きているぞ!」と叫び、レンガで殴り始めた。BuzzFeed Newsが調べたところ、5人の死因は頭蓋骨骨折であると病院の報告書に記されていた。

    「村人は抑えのきかない状態に陥っていて、興奮がどんどん高まって醜悪な暴徒へと変貌したのだ。私が知る限り、暴徒の誰もが、見たり聞いたりしたうわさに影響され、子どもたちの安全に不安を抱いて起こしただけの行動だった」(サーガル氏)

    BuzzFeed Newsはラームクマール氏から、これまでに逮捕された28人のうち26人は年齢が20歳から25歳で、WhatsAppユーザー、という情報を得た。20年の弁護士経験を通じ、今回のリンチ以上に残酷な事件は知らないと話す同氏は、「彼らは間違いなくWhatsAppで見た情報に影響された、と考えている。WhatsAppが原因の1つであることは、否定できない」(同氏)と述べた。

    村議のパワール氏はラームクマール氏の意見に同調し、BuzzFeed Newsに対して、「WhatsAppの瞬時にうわさを広める性質が、集団の興奮を募らせていった。事件の原因はそれだけだ。子どものころからこの村で暮らしているが、今まで暴力沙汰は起きたことがない」と語った。

    WhatsAppの新CEOによるインド訪問

    Facebookにとっての2018年は、不祥事と謝罪の年である。4月に米国議会の公聴会で証言したCEOのザッカーバーグ氏は、ロシア系ハッカーの脅威とフェイクニュースの活動に関する調査で認識が甘かったと述べ、Facebookの対応が遅かったことを「(自分の)人生でもっとも後悔していることの1つ」と話した。当初世間に対して否定していたザッカーバーグ氏だが、上院と下院でそれぞれ開催された公聴会においては、人々をつなげようと作ってきたFacebookのサービスが分断と不和を招くことに悪用されたことも事実だと証言した。

    Facebookの100%子会社となっているWhatsAppは、今回のリンチ問題により単刀直入な対応をとっている。7月にはインドで「quick forward」(すぐに転送)ボタンを無効化し、ワンタッチで写真やビデオを転送できなくした。さらに、インド内ではメッセージの転送可能な回数を5回に制限した。しかし、WhatsAppが情報技術省へ宛てた7月5日付けの書簡には、同社のサービスを大きく変更するよりも、政府、社会、技術企業が協調する方が好ましい、と記されていた。5月にWhatsAppのCEOへ就いたばかりのクリス・ダニエルズ氏は、インドの報道機関と政治家から受けた圧力に屈し、8月終わりになってインドを訪問して政治家たちとの会談に臨んだ。ただ、リンチ事件の起きた村へ足を運ぶことはなかった。これまでのところ、WhatsApp幹部で村へ行った者は皆無だ。

    WhatsAppの肩を持つ人々の主張は、メッセージング・サービスの責任範囲はコミュニケーション機能の保証までにとどめるべき、ということだ。たとえば、何者かが電話で爆弾攻撃の相談をしたとしても、電話会社に責任を負わせたりしない、という話である。もっとも、WhatsAppがインドである種の社会的問題や文化的問題を悪化させていることは明らかだ。WhatsAppが偽情報(同時に、もちろん正しい情報)を従来よりも速く、より遠くまで広められるようにしたのは、間違いない。ラインパーダ村のような辺地にまで伝わるようにした。

    米国で設計されて作り上げられたWhatsAppだが、今や世界各地へ広まり、社会的な規範とオンラインにおけるマナー基準の幅が広いさまざまな地域で使われるようになった。技術系起業家のシンハ氏は、これが問題であると話す。同氏は、WhatsAppがもともと、転送する情報を「関連する文脈や付加されるコメント」など問われることなく「一切妨げられず共有する」よう開発されたもので、教育に恵まれず、ウェブ利用経験の乏しい人々の暮らす環境で使われると、悲惨な結末に至りかねない危険な前例、と考えている。

    WhatsAppは、インド国内の問題を処理するために政府対応の拠点を作る方向だが、インド政府がもっとも強く要求しているメッセージ追跡機能の導入は拒絶した。ユーザーのプライバシー保護を最重視することが売りのWhatsAppは、通信経路をすべて暗号化する仕組みを採用し、ユーザーによってやり取りされるコンテンツの表示やアクセスを実行不可能にしている。インド政府は、偽情報ビデオの出所を知りたいと考え、WhatsAppの暗号システムに抜け穴を作らせたいのだ。

    8月に行われたダニエルズ氏との面会後、情報技術相のラビ・シャンカール・プラサード氏は「メッセージの出所を突き止めるのにロケット科学は必要ない」と述べた。そして、WhatsAppによって引き起こされた、児童誘拐のうわさに関するビデオとそれに扇動されたリンチ事件といった「悲惨な事態」は、「インドでは法律違反」と見なせる、と指摘した。

    現時点での問題は、インドで児童誘拐ビデオの拡散を防ぐ手段として誰でも思いつく方法が、WhatsAppのビジネスにおけるもっとも重要な方針と相容れないことだ。WhatsAppは今のところ軽い警告だけでほぼ逃げおおせている。ただし、緊急時にFacebookやWhatsApp、その他メッセージングアプリをブロックできないか検討するよう通信会社にインド政府が求めた、と伝える報道では、将来WhatsAppが問題に巻き込まれるかもしれない、としている。

    ザッカーバーグ氏は公の場でリンチ事件に対してコメントしていないが、7月終わりに開催されたFacebookの決算説明会で、これから行われる国内外の選挙に向けて、フェイクニュースと闘うという同社の基本方針を表明した。インドの総選挙は、2019年春に予定されている。また同氏は、インドで試験しているWhatsAppの決済機能について熱く語り、インドが同社の成長を支えていると協調した。

    BuzzFeed Newsから、ザッカーバーグ氏がインドで起きたリンチ事件のことを知っているか、と尋ねられたFacebookの広報担当者は、「マーク(ザッカーバーグ氏)もほか人と同じく暴力事件に神経を尖らせていて、誤用防止につながる仕様変更の議論に参加している」と答えた。

    「WhatsAppのこんなたわ言をなぜ信じるのか」

    WhatsAppが被害者を出してしまった偽情報問題への対策に手を焼く一方、現地の警察は自力での対処を強いられた。

    7月1日にラインパーダ村でよそ者5人が撲殺された事件から2時間後、2人の屈強な警官が地元のニュースCATV局、AE Visionの小さな編集室に乗り込んできた(AE Visionのオフィスは、ドゥーレ県の主要都市で40万人が暮らすドゥーレ市街のなかでも、狭い道を入った分かりにくいところにある)。警官はAE Vision編集長のラジェシュ・パタク氏に紙とペンを用意させてある文を書き取らせ、それを放送するよう伝えた。それは要請でなく、命令だった。

    パタク氏と2人の警官は、30分かけて「WhatsAppで出回っている児童誘拐犯に関するメッセージは、信頼性の低い情報です。騙されないようにして下さい。暴力行為に加担したり、この種のメッセージを転送したりといった行為が判明したら、逮捕と起訴の対象になります」と注意を呼びかけるマラーティー語の文章を作った。

    パタク氏はBuzzFeed Newsに対し、「11年間AE Visionで編集者として働き、暴動騒ぎは何回か経験している。それでも、警察からこのようなことを命じられたのは、今回が初めてだ」と話してくれた。

    警告文はそれから48時間にわたってAE Visionチャンネルの画面下部に流され続け、その地方にいる10万人を超える視聴者へ届けられた。さらに、警察は事件の翌日、同地域のインターネット接続を24時間遮断させた。ドゥーレ県警察で最高責任者だったラームクマール氏はBuzzFeed Newsに、「我々は、リンチのようすを撮影したビデオや、児童誘拐犯のうわさをこれ以上広めたくなかった」と話した。

    ドゥーレ県の警察が行ったAE Visionへのこうした働きかけは、早い段階で偽情報を抑え込もうとする行動の一環だった。ラームクマール氏がBuzzFeed Newsに語ったことによると、「インド各地でWhatsAppに刺激されて起きたリンチ事件の問題が表面化し始めた5月から、警察ではどうやって住民へ警告するとよいかの検討を行っていた」そうだ。ラインパーダ村で起きたリンチ殺人の残忍さに衝撃を受け、警察は行動を起こした。

    ドゥーレ県の警察は現地CATV局の放送を通じて注意を呼びかけただけでなく、マラーティー語のパンフレットを県全域に配布し、新聞広告も出した。もっとも重要な対策は、偽情報を否定するメッセージの拡散にもWhatsAppを利用したことである。村々に関係するWhatsAppグループの監視役となる担当者を決め、ピラミット構造のWhatsAppグループを構築したのだ。ドゥーレ県の警察署は、それぞれ100ほどの村を割り当てられた。

    「この仕組みでは、偽情報に対する否定メッセージを中心的なWhatsAppグループへ流し、それが県内全域の各村のグループへきちんと伝わることを監視すればよい」(ラームクマール氏)

    現在マハラシュトラ州内の村々には何百も横断幕が掲げられていて、どこの村へ行っても目にする。現地警察が配ったもので、青い警察のマークが大きく描かれ、警察署の電話番号が添えられている。雨の降りしきる日にラインパーダ村を訪れたところ、長々と続く道の脇に村の名前を示す目的で立てられた2本の金属ポールがあり、この横断幕が結びつけられていた。ここからなら、5人が殺された場所までそう遠くない。現地の人は、ウマが逃げ出した後で納屋にかんぬきを掛けるようなもの、と話している。というのも、横断幕が張られたのはリンチ事件の1週間後だったのだ。

    蒸し暑い7月のある木曜午後5時、9人の大学生グループが広い庭の地面に座る100人近い少女たちの前に立った。

    学生たちはラインパーダ村のリンチ事件以降、この地方を移動しながら少なくとも週に2回、屋外で16分ほどの寸劇を披露してきた。マラーティー語で付けられた劇のタイトルは、「人の命をもてあそばないで、うわさに引っかからないで」といった意味になる。その日の舞台はドゥーレ県にある政府運営の宿泊所の中庭で、ラインパーダ村と似た近隣の村々から集まった少女たちが観客だった。

    ドゥーレ県に拠点を置くNGO、Navanirmiti Sansthaの運営者であるシャハージー・シンデ氏は、BuzzFeed Newsに次のように話した。「故郷の村からドゥーレのような町へ出て行った若者たちを、偽情報へ敏感にさせることが重要です。彼らはAndroidスマホとWhatsAppのユーザーであり、彼らを通じて出身地の村々へ偽情報が伝えられます」

    Navanirmiti Sansthaは10年近くにわたり、ドゥーレ県で最貧層の人々に影響を及ぼしている教育と労働の問題に取り組んで来たが、技術や偽情報を扱うことなど考えたこともなかった。そこにラインパーダ村の事件が起き、この地域の低い識字率と貧困状態がWhatsAppを通じて広まる偽情報と組み合わさって命にかかわる事態を招いたと、シンデ氏は確信した。

    リンチ事件の1週間後、シンデ氏はNGOへの協力を申し出てくれた9人の学生とともにドゥーレ県の警察へ出向き、一緒に活動することを提案した。シンデ氏らが台本を書き、現地の言葉であるアヒラーニー語を使って屋外で寸劇の演じる、というアイデアだ。その代わり、自分たちが児童誘拐犯と誤解されたくなかったため、警察に護衛を依頼した。

    「社会秩序の崩壊につながるフェイクニュースや偽情報を広まらせてはならない」。そう誓った警察は、シンデ氏の提案を受け入れた。シンデ氏のグループはこれまで、WhatsAppで流されている偽情報を題材に12種類もの劇を上演してきた。

    シンデ氏はBuzzFeed Newsに、「こちらの地域では、(寸劇という)情報伝達方法がとても効果的です。ただ話すだけの講演では伝わりません。ユーモアのある適切な内容のスキットを作れば、メッセージを広められます」と語った。

    シンデ氏らの演じる劇はシンプルだ。小道具など使わず、人の集まるところなら場所を問わず上演できる。劇では、WhatsAppで流れている偽情報がどうやって観客たちになじみのある田舎で広まるかを、次のようなストーリーを使って説明する。ある女性が夫からかかって来た電話に出ると、子どもたちが危険な目に遭わないよう用心しろと、WhatsAppであるビデオを見た夫に言われる。女性はスマートフォンを持っていないが、ご近所さんとのお喋りでその話を伝え、そこからうわさが村中へ広まっていく。最後の場面は、ラインパーダ村の事件をそのままなぞった。現地の言葉を話さないベッドシーツ商人が子どもにチョコレートを渡すと、児童誘拐のうわさで興奮し、荒れ狂った暴徒に呼び止められる、という内容だ。

    暴徒がベッドシーツ商人を殺してしまう直前に、シンデ氏が騒ぎに割って入り商人を助け出す。シンデ氏は暴徒、そして観客に問いかける。どうしてこの男を児童誘拐犯と決めつけたのだと。

    video-player.buzzfeed.com

    WhatsAppで流れる偽情報に用心するよう訴える寸劇のワンシーン。字幕はBuzzFeed Newsがつけた。

    そのシーンでシンデ氏は、スマートフォンを取り出して「WhatsAppのこんなたわ言をなぜ信じるのか。子どもが誰かに誘拐されたところを実際に見たのか。腎臓を取られた子どもを見たことがあるのか。この手の話は、社会を混乱させようとしてWhatsAppで流されているんだ。ラインパーダ村でリンチが起きたのは、こうしたうわさが原因だ」と叫ぶ。そして「うわさを広めたら、警察に逮捕されるぞ」と警告した。

    最後にシンデ氏は、座っていた観客たちに立ち上がるよう促し、一方の手を挙げて「私たちは全員ここで誓います。社会秩序を破壊するフェイクニュースや偽情報を決して広めません。自分の務めを果たします。責任ある市民となり、国に尽くします」と宣言した。

    ゴーストタウン

    暴徒による殺人事件から3週間たったラインパーダ村は、今やゴーストタウンだ。しばらく前からこのような状態になっている。事件の数時間後には、警察による取り締まりを恐れて何百人もの人々が村から逃げてしまった。

    村で聞こえるのは、土砂降りの雨の音と、泥だらけの地面にとられる靴のクチャクチャいう音だけだ。鮮やかな緑色のヘビが道をゆっくり横切って畑に吸い込まれ、打ち捨てられた泥造りの家の外でめんどりがコッココッコと鳴いていた。村のなかでわずかに見かけられたのは、家から出て雨の下ではしゃぎ回っていた幾人かの子どもと、それを見守る祖父母だが、我々が近づくと祖父母は慌てて子どもをつかんで家に入れ、ドアを閉めてしまった。

    農業を営む59歳のダウラト・トゥンギャ・バブール氏は、村の端に約1.2ヘクタールの穀物畑を持っている。その日の午前中に2頭の牛を使って畑を耕していたバブール氏の体は、泥で汚れていた。背後には、働き続ける10人の姿が見える。

    殺人事件後に村人がラインパーダ村を捨てて以降、バブール氏の収入は月5000ルピー(約7800円)にも満たなくなった。畑で働いてくれる人を近隣の村から雇うため、毎日給料を払う必要も生じた。1人あたり120ルピー(約188円)かかる日当は、彼の稼ぎを大きく減らしている。

    バブール氏はアヒラーニー語で、「あの一件後、ラインパーダ村から出ると決まりの悪い思いをしている。どこへ行っても、あの村に住んでいるなんて恥ずかしくないのか、と聞かれるんだ。思いやりってものはないのか。一体どうすればよかったんだ」と訴えた。

    バブール氏はスマートフォンを使っておらず、自分の歳を考えると持つ気もない、と話している。WhatsAppのことなど聞いたこともないそうだ。

    両手を組んだバブール氏は目に涙を浮かべ、震える声で次のように話してくれた。「この村があの事件から立ち直れるかどうか、私には分からない。ただ、もう年寄りなので、向こうの丘にでも小さな家を建てて、村から離れた場所で静かに暮らそうかと考えている」 ●


    当記事は、プラビン・タークレー氏からの寄稿による。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:佐藤信彦 / 編集:BuzzFeed Japan