安倍首相のインド訪問延期に潜んだ「宗教差別」

    安倍首相が、12月15日から予定していたインド訪問を取りやめた。その理由とは。そして今回安倍氏が訪問する予定だったインド北東部と日本の特別な関係とは。

    安倍晋三首相が12月13日、近く予定していたインド訪問を延期することを決めた。インドのモディ首相と首脳会談を行うはずだったインド北東部アッサム州グワハティなどで、政府に対する大規模な抗議デモが激しくなっているためだ。

    デモ参加者らが抗議する対象は主に二つ。宗教差別と、移民問題だ。

    なぜこの時期に、暴力的なデモが噴き出したのか。そして安倍首相は、なぜ首都ニューデリーではなく、インド北東部に向かおうとしていたのか。

    「イスラム排除」への抗議と移民への反感がデモに

    インドの国会は12月11日、国籍法の改正案を可決した。

    これは、2014年末までにインドに不法入国したバングラデシュ、パキスタン、アフガニスタンの出身者のうち、ヒンドゥー教、シク教、仏教、キリスト教など6つの宗教の信者にインド国籍を与える、というものだ。

    インドの与党・インド人民党は改正の理由を「3ヵ国で少数派として迫害され、インドに逃れてきた人々を救うため」としている。

    寛大な措置のように見えるが、この改正案で対象とされていない宗教の信者達がいる。イスラム教徒だ。

    与党・インド人民党(BJP)は、イスラム教などを「侵略者の宗教」とみなし、ヒンドゥー教の伝統に基づいた国家建設を求める「ヒンドゥー至上主義」を軸とする政党だ。モディ首相も、BJPの支持基盤のヒンドゥー至上主義団体「民俗義勇団(RSS)」に8歳で加入し、生涯のほとんどを過ごした専従幹部だった。

    インドは人口の8割がヒンドゥー教徒、イスラム教徒は1割強。残りはキリスト教や仏教、シク教などが占める。

    モディ政権が2014年に発足して以降、ヒンドゥー教で神聖視される牛を食べたとして、イスラム教徒がリンチされ殺される事件が相次ぐなど、イスラム教徒排斥の動きが強まっている。

    今回の改正案もイスラム教徒だけを対象から外していたことから、「政権の真の狙いはイスラム教徒の排斥と弾圧」という強い批判が、インド内外で起きた。

    イスラム教徒の国会議員らは猛反発した。イスラム教徒を中心に首都ニューデリーなど各地で抗議活動が続いている。

    イスラム教徒の少数派は救済の対象外

    モディ政権は国籍法改正の理由に「迫害からの救済」を掲げるが、そこには矛盾がある。

    宗教的少数者として保護の対象に値するイスラム教徒は、今回の法改正の対象となった3ヵ国にも存在するからだ。

    例えばアフガニスタンの少数民族、ハザラ人だ。

    現地では「モンゴル人の血を引く」といわれ、日本人とよく似た見かけの人が少なくない。宗派も、アフガンやパキスタンで多数派のイスラム教スンニ派ではなく、シーア派の信者が多い。こうした民族的、宗派的な違いのため、以前から差別を受けてきた。さらに、タリバンやイスラム国(IS)などのスンニ派過激派は、ハザラ人への攻撃や殺害を続けてきた。

    アフガニスタン、パキスタンとバングラデシュには、ハザラ人以外にもスーフィー、アフマディアなど、イスラム教の少数宗派に属する人々がいる。バングラデシュなどでは近年、シーア派モスクに対するイスラム教スンニ派過激派の爆弾テロが起きている。

    改正案が国会で可決されると、バングラデシュのアブドルモミン外相は13日から予定していたインド訪問を取りやめた。抗議の意を示すためだ。

    北東部では「ヒンドゥー教徒の移民もいや」

    安倍首相は12月15−17日に予定していたインド訪問で、モディ首相との首脳会談を、首都ニューデリーではなく、北東部アッサム州グワハティで行う予定としていた。

    そのグワハティなど北東部の複数の地域で、国籍法改正への反対デモが暴徒化し、商店や車などが焼き討ちされ、複数の死傷者が出ている。政府はインターネット回線も遮断した。こういう状況のため、首脳会談は延期された。

    北東部での反対デモは、ニューデリーなどとは様相が異なる。

    インド北東部7州は、バングラデシュ、ネパール、ブータン、ミャンマー、そしてチベットと国境を接し、民族構成は複雑だ。インドのほかの地域とは文化や言語が大きく異なり、チベットやネパール、ミャンマーに近い民族が暮らしている。

    インド北東部の地図

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    インドからの分離独立を求める武装闘争が続いてきた地域もあり、治安上の理由などから近年まで、外国人の立ち入りは制限されていた。

    この地域では、イスラム教徒差別への批判よりもむしろ、法改正でバングラデシュからヒンドゥー教徒らがインド国籍を求めて流入し、職が奪われかねないとして、抗議の声が上がっているのだ。

    インドとバングラデシュ、パキスタンは以前、英国が支配する単一の植民地だった。そこから1947年、イスラム教徒主体のパキスタン・バングラデシュ(旧東パキスタン)と、ヒンドゥー教徒主体のインドに分離・独立した経緯がある。

    複雑な民族構成と続いた混乱

    英国支配時代、インド北東部ではアッサム名産の紅茶農園などでの職を求め、多くの人々が現在のバングラデシュから移動してきた。その多くはイスラム教徒だった。

    さらに1971年、東パキスタンが「バングラデシュ」として分離独立を宣言すると戦乱状態となり、さらに多くの難民が流入した。

    こうした歴史的経緯から、インド北東部では、バングラデシュから合法・非合法問わず移ってきた人々への強い反感が、以前から潜んでいたのだ。

    そのバングラデシュも、ミャンマーからのロヒンギャ難民を70万人以上抱えており、自国領内出身者のインド北東部からの「帰還」を認める意思を示していない。

    安倍首相は「インパール作戦」の地を目指していた

    インド北東部と日本には、歴史的なつながりがある。

    1944年に日本軍がインド侵攻を目指して敗北し、多数の日本兵が命を落とした「インパール作戦」の現場だったのだ。インドで日本軍と連合国軍の激しい戦闘が行われた、唯一の地域だ。

    インパール作戦で日本軍が攻略を目指したマニプール州の州都インパールでは、地元の青年らが数年前から、薄れゆく戦争の記憶の掘り起こし作業を始めた。そこに日本財団などが支援し、2019年6月に「インパール平和資料館」が開館した。資料館は、「レッドヒル」と呼ばれる激戦地のあとに建設された。

    安倍首相はグワハティでの首脳会談後、インパールを訪れ、この資料館を視察する予定だった。実現すれば、日本の首相としては初のインパール訪問となるはずだった。

    もう一つの狙いは日印協力での北東部開発

    日印両首脳がわざわざ北東部で会談を開こうとした理由が、もう一つある。

    インド北東部は、これまでの分離独立闘争や、かつて日本兵もあえいだ険しい地形などの影響で、インドで最も開発の遅れた地域の一つだ。

    モディ政権は「アクト・イースト」政策を掲げ、ミャンマーなどインド東方への影響力拡大を目指している。ミャンマーではすでに「南下政策」を取る中国が影響力を強め、パイプラインなどの建設を行っている。

    インドはそれに対抗するように、インド北東部からミャンマー、そしてタイ方面に伸びる貿易ルートを整備し、中国を牽制しようとしているのだ。そのパートナーに目されていたのが、日本だった。2017年の日印首脳会談で、北東部での交通網の整備などでの日印の協力が、共同声明に盛り込まれた。

    今回、グワハティでの首脳会談が実現していれば、モディ首相にとっては国内で成果をアピールする好機となっていたし、安倍首相にとっても「インパールを訪問した初の首相」として名を残していたことになる。

    延期された安倍首相のインド訪問と首脳会談の時期について、インド外務省は「両国にとって都合の良い日時をすりあわせ、近い将来に行う」としている。