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「東京五輪の中止を求めないという選択は正解だった」逃げ続ける政治に専門家が突きつけたメッセージ

専門家が有志の会として五輪のリスク評価に関する独自の提言を発表したことは正解だったのか。提言を受け、政治は何をすべきか。東京大学教授の牧原出さんに聞く。

「オリンピック、パラリンピックというのは規模と社会的な注目度において普通のスポーツと別格」

「開催にともなう人流、接触機会の増大リスクがかなりあると、我々は考えています」

日本記者クラブで6月18日、政府の新型コロナ分科会の会長を務める尾身茂氏をはじめ専門家有志が記者会件に臨み、今夏の東京五輪に関するリスク評価を発表した。

専門家が有志の会として独自の提言を発表したことは正解だったのか。提言を受け、政治は何をすべきか。

行政学の専門家に聞いた。

逃げ続ける政治に、専門家が突きつけたメッセージ

行政学が専門の政治学者で東京大学先端科学技術研究センター教授の牧原出さんは根本的な課題として「政治が責任を負う姿勢を見せないこと」があると指摘する。

「政治の側は都合が悪くなると、誰かのせいにして本来背負うべき政治責任を負わないということを明らかに繰り返しています。それは先日の五輪の会場での酒類販売について、丸川珠代大臣が『ステイクホルダーの存在がある』とスポンサー企業に責任転嫁しようとしたことにも現れています」

牧原さんは新型コロナという危機に際して、専門家組織がどのように機能しているのかを考察することを通じて政治の動きを分析し続けてきた。

昨年5月には「前のめりの『専門家チーム』があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応」と題した論考を発表。この「前のめり」という指摘に端を発し、専門家会議の解散と専門家分科会の設置が進んだ経緯がある。

牧原さんの目に、今回の独自提言はどう映ったのか。

「政治家は自己正当化と見せかけて、他の誰かへと責任転嫁し続けている。そんな中で、専門家たちは責任を背負いながら、有志の会として提言を出しました。専門家は提言を出す上で自分たちの役割はリスク評価をすることだと宣言し、決めるのは政治の責任だとはっきりと言いました。あのメッセージは非常に強烈で、政治は逃げられなくなったと言えるでしょう」

「また、会見の場では、尾身先生がこの1年間政府や都道府県にずっと対策の助言をしてきた立場から提言を出すと宣言しました。あのメッセージも重要でした。国民の多くは尾身先生や脇田先生、西浦先生など有志の会のメンバーが昨年から新型コロナの問題にずっと真正面から取り組んできたことを知っています。そうしたこれまでの積み重ねがあったからこそ、今回の提言が多くの人にしっかりと受け止められるものになったのだと思います。その意味で信頼関係を国民との間で確認しながら、情報発信をすることができたのだと考えられます」

「有志の会ではなく、きちんとした会議体からメッセージを発した方が良かったのではないかという指摘はあるとは思います。ただし、分科会などであの提言を出すとなると、その会議体に対して政治が圧力をかけるなど強い反発が起きかねません。また、会議としての意見は、国民に対しては権威的に見える面もあり、一部からの反発も強くなったのではないかと思います。ですから、有志の会として提言を出したことは結果的には良かったと考えています」

「五輪の中止を求めないという選択は正解」

専門家有志の会は今回の提言で無観客での開催が最も感染拡大リスクが少なく、望ましいとしたものの、大会中止を求める言葉を入れることはなかった。

尾身氏も中止を選択肢に入れるべきではないかという議論はあったと認めつつ、菅義偉首相がG7サミットで開催を宣言したことで、提言の内容を開催を前提としたものへ変えたことを明かしている。

「尾身先生は開催中止についても言及すべきだったという指摘がありますが、私は五輪の中止を求めないという選択は正解だったと思います」

なぜか?

「もしも、あの場で専門家が五輪の中止を求め、万が一にも政府が五輪を中止した場合、『専門家が中止しろと言ったから中止した』と全ての責任を専門家が負わされた可能性があります。五輪を中止すると、財政的な負担など様々な不都合が生じます。それへの責任を専門家は引き取らなかったわけですから、私は中止を求めないという選択は長期的に見ると良い選択であったと捉えています」

「あのような提言の場では、必ずしも強く言いすぎる必要はありません。すでに尾身先生は国会で『今の状況で(五輪を)やるというのは普通はない』と発言してきました。メッセージとしてはこれで十分です。政治的なリスクをとらず、専門家分科会の構成員として仕事を続けた方が長期的に見た時に国民の健康リスクを最小限に抑えられるという考え方もあります。今回は絶妙なバランスのところに着地したと見ています」

「西村康稔大臣や田村憲久大臣など、閣僚の多くは専門家の提言が意味することはよくわかっているはずです。これから五輪の開会式まで約1ヶ月ありますが、リバウンドのペースが早くなればなるほど、社会の空気は専門家の提言を活かす方向へ流れていくと思います」

今年は秋までに衆議院選挙が行われる。選挙を経て閣僚が変わる可能性はあるが、現在の専門家に代わる存在を見つけることは容易ではない。

次から次へ変異ウイルスが現れる中で、いつになれば新型コロナは収束するのか。ワクチン接種が進むイギリスやイスラエルでも、未接種者の間で感染拡大が続く。

先行きが不透明な中、専門家には科学的な知見から引き続き助言を行うことが期待されている。だからこそ、「専門家が政治的な傷を負わない形で五輪に関する提言を出したこと」は評価できると牧原さんは強調した。

今夏の開催にこだわるなら、根拠と共に説得を

政治には感染症のリスク評価については専門家の判断を尊重しフォロワーシップを発揮することが、政治的決断を下す上ではリーダーシップを発揮することが求められる。

だが、現在の政治にはそのどちらも欠けていると牧原さんは指摘する。

「今夏の五輪開催にこだわるのであれば、信念を持って『何か起きれば総理を辞める』くらいの覚悟を示して進めるべきでしょう。でも、そのような覚悟も見えません。誰の目から見ても感染者が増えることが予想される中で観客を入れることにこだわったり、五輪を開催した場合のリスクについて専門家に諮問しなかったり、色々と不可解です」

「政治が専門家の提言をすべて取り入れる必要はありません。ただし、取り入れないのであれば取り入れないなりの理屈が必要です。しかし、政府は合理的な説明をしないまま、パンデミックでの五輪開催に突入しようとしています。それは、多大な被害を伴う可能性をはらんだ壮大な社会実験となるでしょう」

科学的根拠に基づき専門家が無観客での開催が望ましいと提言する中で、それでも観客を入れた形での開催にこだわるのであれば「しっかりとした根拠を示すべきだ」と、牧原さんは考える。

「現在の状況で感染症のリスクを否定することはデマに等しい。感染症のリスクがあることは厳然たる事実ですから、それを受け入れた上でもベネフィットがあるとすれば、それはどのようなものか。政治は本来はこのような議論をすべきでしょう」

「ある部分では犠牲を伴うとしても、公共善のために意思決定をするというのが政治の役割です。近年の政治家は肝心な意思決定については曖昧にしたがりますが、最後の最後まで今夏の五輪開催にこだわるのであれば、その理由を合理的に説明して、説得しようとする試みが必要なはずです。そういった姿勢があれば、様々な論議を呼んだでしょうが、開催への支持はもっと増えただろうと思います」

秋までに衆院選を控える状況では、政権維持のために出来る限りリスクを取らない方向で意思決定をする方が合理的だ。なのに、なぜ菅政権はリスクを取りながらも五輪を開催する方向へ舵を切るのだろうか。

「菅首相はイベントによる政権浮揚に博打のように賭けてきました。IRもGO TOキャンペーンもその一環といえるでしょう。いわば『イベント権力主義』が、ここまで五輪開催に固執する理由だと思います」